洒落怖マニア

独断と偏見で集めた怖い話

ノックしてくださいね

禍話~第0夜より~

 Cさんとその彼女は仲良しカップルで、昼夜問わず頻繁にデートをしていた。
 その日も車で出かけ、少し足を伸ばし田舎道を飛ばしていたそうだ。
 夜の田舎道はおそろしく静かで、車のエンジン音以外は何も聞こえない。
 他愛のない話をしながらドライブを続けていると、彼女がCさんの脇をつついた。
「ねぇ、トイレ行きたいんだけど……」
「じゃあコンビニかなんかあったら、借りよっか」
 ところが車は山道に入ってしまっていた。コンビニどころか民家すらない。
 男ならともかく、女性がそのへんの草むらで、というわけにはいかない。
「いやぁ、コンビニないなぁ」
「ちょっと私、この調子だとヤバいんだけど……」
 最悪の場合そのへんの草むらで……という選択肢も頭に浮かびはじめた頃だった。
 道の先にぽつん、と明かりが見えた。
 コンビニの看板だった。
 良かった、とふたりで胸をなで下ろした。

 セブンやファミマのような大手ではない、まるで知らないブランドのコンビニだった。
 駐車場に車を入れて、店の真ん前に停めた。
「ん?」
 Cさんはその時、妙なものを見た。
 他のコンビニと同じく大きなガラスの窓がある。
 そのガラスに、虫が沢山へばりつくように死んでいた。
 光に寄ってきてそのまま力尽きたという死に方ではない。
 高速道路で車に激突して潰れたような死骸だった。それがいくつもくっついている。
 ただCさんはその時、変なこともあるもんだな、掃除すりゃいいのに、くらいにしか思わなかった。

 明らかに気の急いている彼女と共に車を降りて店内へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいませー」

 Cさんはその挨拶に、少し驚いた。
 もう深夜にもかかわらず、男の店員がレジの中にいた。しかも立ったまま。
 山のコンビニで、夜中。他に客はいない。品出しをしていた様子もない。バックヤードで休んだり座っていても、誰も文句は言わないはずである。
 都会の忙しいコンビニだって夜の店員はダラついてるのに、仕事熱心な人だな思いつつ、
「すいません、トイレ借ります」
 とCさんは店員に声をかけた。
「ええ。どうそ」と店員は答えた。それからこうつけ加えた。
「ノックしてから入ってくださいね」

 ……ノック? 
 Cさんは早足の彼女の後ろについていきつつ、駐車場の様子を思い出す。
 他の車はなかった。一台も。
 雑誌の前を通って、トイレへと向かう。
 トイレの手前には貼り紙がしてあった。

「どうぞご自由にお使いください」

 ごくありふれたデザインの張り紙の下に、

「入る際は必ずノックをしてください」

 と、手作りの注意書きが付け足してある。

 ……なんだこれ? 
 Cさんが眉をひそめている内に、彼女はトイレの戸の前に到着していた。
 店員の注意と張り紙に律儀に従って、コンコン、とノックする。
 そして勢いよくドアを押し開け中に入った。
 ……やっぱり誰も入ってないじゃん。当たり前だけど……
 Cさんの疑念はふくらむばかりだった。

 数分後にスッキリした顔で彼女が出てきた。
「いやーよかったよかった。一時はどうなるかと思ったよ」
「本当に良かったなぁ」
「しかもここのトイレ、洋式でキレイなの。ウォシュレットもついててお得感があったよ」
「お得感って(笑)」

 と言いながらCさんは、自分もついでに用を足してしまおうと考えた。まだもよおしてはいないが、次はいつ行けるかわからない。

 今、彼女がトイレから出てきたばかりだ。
 他に客はいないし目の前を通った者もいない。
 なのでCさんは、ノックする必要はないと判断した。

「じゃあ俺も入るから」
 と彼女に言い残してドアをノックしないまま開けた。
 Cさんは無人のはずのトイレに入ろうとした。

 洋式の便座に男が座っていた。
 壁の上から延長コードのような太く白いヒモがぶら下がっている。
 コードは男の首にグルグルと巻きついていた。
 座っているように見えた腰は少しだけ浮いていた。
 男の口からだらしなく舌が飛び出ている。
 もう死んでいるようにしか見えなかった。

 その男はさっきレジにいた店員だった。

「うわっ!?」
 Cさんはドアを閉めて叫んだ。
「えっ、どうしたの?」彼女が飛んでくる。
 いや……なんか……なんかさ……、と言葉を失いつつ、Cさんは恐る恐る再びドアを開けてみた。

 トイレの中には誰もいなかった。

「……え? ちょっ……えぇ!?」
「なになに? どうしたの!?」
「いや、今、中……中に……」
「何もう! 超怖いんだけど!」
「俺もよくわからなくって…………」

「ノックしなかったでしょう」

 騒いでいたCさん達の背後に、いつの間にかさっきの店員が来ていた。
 トイレの中で死んでいた男と同じ服装で同じ顔だ。

「あっ……すいません」
「ダメですよ。ノックしないと。ノックしてくださいって言ったじゃないですか」
「すいません、すいません」
「必ずノック、してくださいね」

 レジに戻っていく店員の背中に、Cさんは何度も謝った。
 マジで何なの?と袖を引いてくる彼女を「後で話すから……」となだめた。

 もう用を足すどころではなかったが、このまま帰ってしまうのもはばかられた。迷惑をかけたようだし、あの店員も怖い。
 特に必要なかったがティッシュや栄養ドリンク等目についたものを数点取って、詫びるような気持ちでレジへ向かった。
 500円ほどの買い物。Cさんが支払いをして、ビニール袋に商品を詰めてもらっている最中だった。
 店員がCさんにぼそりと、こう聞いてきた。

「さっき、中にいたのって、僕でしたか?」

「……へ?」

「さっき、トイレの中にいたのって、僕でしたか?」

「…………いやあの、スンマセンわかんないです! ごめんなさい! すいません!」
 Cさんはビニール袋を掴み彼女の腕を引っ張ってコンビニの外に出た。
 そのままの勢いで車に乗り込んで、真っ暗な山道を逃げるように飛ばして引き返したのだという。

 夜のコンビニでは、何があるかわからない。