模型上の死

そのビルには事務所や店は入っていない。一階から最上階までがらんどうである。浮浪者ですら住み着かない。誰一人近づきもしない。
立地はいいのだから、ビルを取り壊して飲食店なりマンションなりにすれば良いのに。しかしそのビルはそのまま廃ビルとして放置されている。
噂では、オーナーが一度更地にしようとしたそうだ。だが工事は直前になって取り止めになった。理由は分からない。
以前事情を知らない、ビルの近所に越してきた人が、「あのビル、こないだ夜中にうるさかったですよね。あんな時間に何してたんですかねぇ」と古参の住人に尋ねてきたという。
深夜にビルの低い階に煌々と明かりが灯り、何十人もの人影が騒いでいた、と言う。
ビルに電気などとうに来ていない。古参の住人は言葉を濁した。「うーん、、そういう人はいないと思うんだけどねぇ」
新顔の人は、いつの間にかいなくなった。
それなりの高さがあるビルなのだが、自然に目に入る2~3階程度までなら見ても大丈夫だそうだ。それより上階を、わざわざ見上げたりしてはいけない。
万が一、どこかの階の窓が開いていて、誰かが立っていて、それと目が合ったりしたら呪われて、失明したり、半身不随になったりするのだとか。
近所の住人たちは、そのビルが存在していないふりをして生活している。話題にしない。見ない。ただ通り過ぎるだけ。
どこまでが本当の話なのか分からないが、とにかくそのようなビルが建っているという。
これはそのビルからほど近い街に住む、当時女子高に通っていたAさんの話である。
Aさんは10代らしい豪胆な性格で、そんな噂はまるで信じていなかった。
たとえそこで怪奇現象が起きるとしよう。だとしても噂に聞くような大袈裟なことは起きるはずがない。物音がするとか、人影が見えたとか、どうせその程度だろう。
きっと物音に驚いて転んで怪我でもした人の話に尾ひれがついているに違いない。そう考えていた。
待ちにまった夏休み。暇ならたくさんある。
Aさんは自分と同じく、噂なんてまるで信じていない好奇心旺盛な女友達を3人ほど連れて、そのビルに行ってみることにした。
友達もノリノリだったが、即日行くのはやめておいた。親に「急だけど今日帰り遅くなるから」と連絡してあーだこーだ言われるのも面倒だ。
なので今日は別れて、夕食時にでも「明日友達と遊ぶから、ちょっと遅くなるかも」と言っておけばよい、との話に落ち着いた。
もちろん怪しいビルに行く、なんて言わない。そんなこと言ったら反対されるのが目に見える。だから「友達と遊ぶ」と言うだけである。
Aさんたちは「じゃ、また明日ね」と言い合って、帰宅した。
計画通り、夕飯時、Aさんはお父さんとお母さんに「明日の夕方から友達と出かけるんだ。あまり遅くならないうちに帰るね」と告げた。
元より放任主義の両親は「分かった」とか「帰り道気をつけてね」との返事しかよこさなかった。
他の友達の家も上手くいってればいいけど、と思いながらAさんは眠りについた。
翌朝。
6時半くらいに、Aさんの部屋の扉が激しく叩かれた。
夏休みなのにこんな早くから何事か。そもそも部屋に家族が来るなんてことほとんどないのに。とAさんは体を起こして、あくびとともに「はぁい」と返事をした。
扉が開くと、お父さんが立っていた。
いつも明るい父親だが、何だか様子が違う。
顔面が引きつっていて、目は据わり、額には脂汗がにじんでいた。
「お前、今日〇〇ビルに行くつもりだろう」
お父さんは出し抜けにそう言った。
〇〇ビルというのは、例のビルの名前だった。どうしてそれを知っているのだろう。
お父さんは続けて「絶対に行くな」と言った。
そして一呼吸置いたあと、話しはじめた。
お父さんは寝酒をしてから床につく人である。
それから早朝にトイレに行きたくなって目が覚める、というのを毎日繰り返していた。
だが昨晩は尿意ではないのに、ふと目が覚めた。
おそらくまだ3時か4時といったところだ。
変な時間に目が覚めちまったなぁ、と思って首を巡らせる。
すると自分の寝ているベッドのすぐそばに、ビルが建っていたという。
もちろん普通のサイズではない。模型かミニチュアと表現すべきスケールのビルだ。せいぜい膝くらいまでの高さだろうか。
正面に書かれた「〇〇ビル」という看板が見えた。
夢か?酔って見える幻覚か?こりゃ酒の量を少し減らさなきゃいかんかな、とぼんやり思っていると、
「模型」のビルの屋上。そこへ通じるドアが開いた。
そこから小さな人形みたいなものが4体ほど、走って現れた。
ミニチュアのように小さいながらも、若い女の子だろう、と見当がついた。彼女たちは半狂乱になって、叫びながら屋上に飛び出してくる。
ミニサイズの女の子たちなので、その叫び声も小さく甲高く聞こえたそうだ。
アニメなどでキャラが縮んでしまった時の声を想像してもらいたい。
「ワーーーー!」
「キャァ-- ヤメテェー!」
「タスケテーーーッ!」
「ヤダーーーー!」
女の子たちは何かから逃げているのか、屋上に出て必死に走り、我先にと柵を乗り越えて…そのまま飛び降りた。
落ちていく彼女たちの絶叫のあと、かすかに「ドサッ」という音が聞こえた。少女たちは手足がおかしな方向に折れたまま地面に倒れていて、身動きひとつしない。
さっきまで響いていた少女たちの小さく甲高い絶叫がぱたりと止んだせいで、模型の世界はしーんと冷たく静かになった。
…お父さんが理解出来ない恐怖に包まれていると、開いたままの屋上へのドアから、女が一人ゆっくりと出てきたという。
その女もやはりミニサイズだったが、明らかにバランスが変だった。
身長が高すぎる。足も可笑しな程ひょろ長い気がする、胴体も首も顔もぬるりと長いように見える。寸尺がおかしい。
そいつはゆらゆらと歩いて、柵の近くまで行った。それから下を、いや、下で潰れている女の子たちを確認して、
「 アハハハハハハハハハハハハ!! 」
と、やはり小さくて甲高い声で笑った。
そしてまたゆらゆらと歩いて、ビルの中に入る。ドアがゆっくりと閉まった。
これは何だ。
お父さんは体を動かそうとした。しかし金縛りにあったかの様にほとんど動かせない。かろうじて身じろぎできるといったくらいだ。額に汗が浮かぶ。
模型のビルはいまだに目の前にある。
これは、いったい何なんだ。
そう思っていると、屋上に続くドアがバタン、と開いた。
そして小さな女の子たちが4人、走って現れた。
「ワーーーー!」
「キャァ-- ヤメテェー!」
「タスケテーーーッ!」
「ヤダーーーー!」
女の子たちは何かから逃げているのか、屋上に出て必死に走り、我先にと柵を乗り越えて…そのまま飛び降りた。
さっき見たものと全部一緒だ。
また身長のおかしい女がゆらゆらと歩いてきて、下を見て小さな甲高い声で笑う。
それから出ていき、ドアが閉まる。
しばらくすると、屋上に続くドアがバタン、と開く…………
繰り返される惨劇を、お父さんは体を動かせないまま、何度も見るほかなかった。
それを何度も見せつけられるうち、お父さんの胸の中に、得体の知れない何かが沸き上がってきた。
恐怖だけではない。とても大事なことを忘れているような、見落としているような焦りが広がる。
何度目かわからない。屋上へ通じるドアがバタン、と開いた。
「ワーーーー!」
「キャァ-- ヤメテェー!」
「 助けてええぇぇぇぇっっ ! ! ! 」
「ヤダーーーー!」
小さな少女たちの内の一人の声が、普通の人間の叫びになっていた。
それは自分の娘の声だった。
自分の娘も含めた少女たちは、屋上に出て必死に走り、我先にと柵を乗り越えて…そのまま飛び降りた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
自分の娘の断末魔が耳に突き刺さった。
そして鼓膜が痛くなるような静けさ。
お父さんの心は、先程とはまったく別の恐怖に引き裂かれていた。
俺の娘が。
相変わらず動くこと出来ずにベッドの上にいると、またもや屋上へ続くドアから寸尺のおかしい女が出てきた。
女はまたゆらゆらと歩いてきて、柵越しに下を覗いた。それから真っ黒な口をパカッと大きく開いて、
「 あはははははははははははは!! 」
普通の人間の声量で、口が裂けるほど嬉しそうに笑った。
お父さんの体がようやく動いた。
娘が。
俺の娘が死ぬ。
すると、
耳の真後ろ。
低くて粘着質な、知らない男の声がした。
「 はちがつ よっかの よるの できごと です 」
心臓を鷲掴みにされたような感覚で跳ね起きた。ベッド脇にはもう何もない。全身が汗でびっしょりだ。ただの夢だったのか?
時計を見ると、いつもトイレに行く時間だった。時計には日付も表示されている。
8 月 4 日
「……それですぐ来たんだよ。
わかるだろ。お前〇〇ビルには絶対に行くなよ。
死ぬぞ」
その日の朝食は全く味がしなかったという。
Aさんはすぐに友達に連絡して、予定を取りやめにした。
…どこかの街の一等地に、そのビルは建っているという……
※本記事は「感染注意スペシャル」より再編集を加えたものです。
http://twitcasting.tv/magabanasi/movie/419702519