禍話スペシャル①より
工藤さんには子供の頃、仲の良い親戚の家があった。
しかしある日を境にプツリと交流が途絶え、その後完全に縁が切れてしまったという。
これから話すのは、工藤さんとその親戚の関係が断たれたまさに、その日のお話。
工藤さんの母親は、小学生の工藤さんを連れてお昼過ぎに親戚の家を訪ねた。
挨拶もそこそこに大人は母屋に入り、子供はみんなで庭の隅にある小屋へ向かった。
その小屋というのは六畳ほどの広さで、窓が一つもない簡素な物だ。
以前は恐らく物置だったのだろう。
子供は窓がないことも狭いこともあまり気にしない。
オモチャはあるし大人もいないから、秘密基地みたいだと皆この小屋を気に入っていた。
母屋からは大人たちの怒る声や、すすり泣く声、猫なで声が度々聞こえる。
子供には事情がよく分からなかったが、「お母さんたち、ケンカでもしてるのかな?」と皆で心配していた。
大人たちはともかく、子供たちは仲が良かったのだ。
もちろんオモチャの取り合いなどの揉め事は時々あったが、すぐに仲直り出来る良い関係だった。
そんな子供たちが平和に遊ぶ小屋には一つだけ変な所があった。
それは北側の壁に据えてある戸棚だ。
戸棚自体は変ではない。襖のように引き戸が二枚はまった、大きな木の戸棚だ。
おかしいのは、その引き戸の上に貼ってある紙。
和紙か藁半紙か分からないが、ざらついた紙に縦書きで
火
星
と書いてあるのだ。
墨と筆で書かれた、達者な文字。
小学生なので火星の意味は分かる。と言っても"遠い宇宙の惑星"くらいの知識だが。
ただ、この戸棚に何故"火星"と書かれた紙を貼るのかが全く分からなかった。
そしてこの戸棚の引き戸にはいつも大きくて頑丈そうな南京錠がかけられていた。
いつ行ってもオモチャは床に散らばっているので、オモチャをしまう戸棚ではないようだ。
もしかしたら高級な骨董品や、植木用の刃物など危ない道具を保管しているのかもしれない。
実際、親戚の親から「この戸棚には絶対に触っちゃダメだよ!」と言われていたし、大人が戸を開けているのを見たこともなかった。
しかしやはりこの戸棚はおかしい。
戸棚の前で遊んでいると、時折フゥーっと風が吹いてくるのだ。
鍵がかけられた戸棚から風が出るはずがない。
外側に穴や隙間はないし、そもそもこの小屋には窓がないから風は入ってこない。
なのに戸棚から、まるで外に繋がっているかのように風が出てくることが頻繁にあった。
ー交流が断たれたあの日に話を戻そう。
夕方4時頃、いつにも増して大人たちが大きな声で言い争う声が聞こえていた。
そして突然声が止んで、母屋から誰かが大きな足音をたてて歩いてきた。
「コウキー!帰るわよー!」
工藤さんの母親の声だ。
「はーい!今行く!」
(いつもより帰るの早いな~、しかも口調が強い。怒ってるのかな?)と思いながらも返事をして立ち上がった。
親戚の子たちに「またね!」と言って出入口のドアに体を向けた時、背後で
ゴトッ
と音がした。
誰かがオモチャを落としたにしては、重すぎる音だ。
何だろう、と思って工藤さんは振り向いた。
戸棚にかけてあった南京錠が床に落ちている。
あれ?外れたりしてなかったよね?と周りの子たちと顔を見合わせていたその時。
火星と書かれた張り紙の真下にある引き戸がガラッと勢いよく開いた。
そして戸棚の中から、頭が異常に大きくて丸裸の男の子が走り出てきた。
皮膚が剥けているのか、火傷なのか、何か皮膚の病気なのか、顔面から太腿のあたりまで全身がズルズルに真っ赤だ。
その男の子は、手を大きく広げながら嬉しそうな満面の笑顔でドタドタ!と工藤さんの方へ…
「うわっ!!!」
工藤さんは小屋から飛び出してドアを閉めた。
すると母親が目の前に立っていて
「大きな声出してどうしたの。もう帰るわよ!」
と言った。
「え、ちょっと待って、今…」
「いいから帰るよ!ホラ!」
小屋の中から親戚の子たちが泣く声がかすかに聞こえる。
中は今一体どうなっているのだろうか。
さっきの男の子が走り回るような音は聞こえないが…。
母親に説明して助けたかったが、説明どころか理解すら追いつかず上手く言葉に出来ない。
しかも母親は一刻も早く立ち去りたいようで、グイグイと強く手を引く。
どうしたら良いのか分からないまま、工藤さんは親戚の家をあとにした。
数年後、母親や他の親族から聞いたところによれば、あの親戚の家はとある宗教にハマっていたそうだ。
よく聞く新興宗教ではなく、田舎の集落や町にたまにあらわれるマイナーな宗教だとか。
はじめの内は、ただ拝んだり安価な御札を買うくらいだったが、そのうち稼ぎや貯蓄をつぎ込むようになり、あっという間にお金がなくなったという。
そして友人知人、親族にまでお金を無心するようになった。
工藤さんの母親は何とかその宗教から脱退させようと説得したそうだが、親戚の親はひたすら金の無心か、あわよくば信徒にしようと勧誘してきた。
情の深い工藤さんの母親はそれでも何度かお金を貸して根気よく説得を続けたが、毎回変わらぬ要求と勧誘の繰り返しに、ついにあの日、我慢の限界に達した。
「ウチとおたくは金輪際無関係です。もう話すことも、お金も貸すこともありません。貸したお金は返さなくて結構です。」
と、会話を打ち切り母屋を出て、工藤さんを小屋に迎えに来たのだとか。
「とまぁ、そういう事情があるから母も親族もあの親戚の家について話したがらないんです。
僕も聞きづらいですしね。母にとっては嫌な思い出でしょうし…」
「だからあの家がハマっていた宗教の名前も、戸棚のことも、"火星"の意味も、真っ赤な男の子のことも、小屋に残された子供たちのその後も全然分からないんです。」
「…ずいぶん前のことなので、一緒に仲良く遊んでいた子供たちの顔が思い出せないんです。
でも、あの戸棚から出てきた男の子の顔は忘れられないんですよね。」
「異常なまでに大きな頭。そして真っ赤に向けた皮膚。本当に何だったのでしょうか…」
工藤さんはそう語って、悲しそうな笑顔を浮かべた。